2022年11月30日

神話は作り話ではなかった!?      □神庭荒神谷遺跡の銅剣と国譲り神話□

投稿者: のんきまる
  • 国譲り神話とは?
  • 荒神谷遺跡での発見、圧倒的な出土品の数!
  • 神話は真実なのか・・はたまた

出雲市斐川町の山中で見つかった”歴史”

1983年、農道の建設に伴い遺跡分布調査を行っていた調査員が何か陶器のかけらのようなものをみつけました。なんとそれは古墳時代の土器である須恵器(古墳時代の土器)の破片だったのです!そして調査員らはそこにある遺跡の存在に気付きました!しかし、発見はそれで終わりではありませんでした翌年の1984年からの発掘調査で、なんと銅剣が358本も発見され、近くからは銅鐸、銅戈なども発見されたのです。


ちょっぴり雑学タイム                             ~荒神谷遺跡の名前の由来は、この谷の南側に「三宝荒神」が祀られていることだそうです~

~また神庭という地名は、大国主命の息子であるタケミナカタ(諏訪大社の祭神)が治めていた地だからというような伝承があるそうです~


圧倒的な出土品の量とその位置の重要性

それまで日本で見つかっていた銅剣の総数が300ほどだったので、荒神谷遺跡はそこだけでそれまで見つかっていた銅剣の数を上回る発掘でした。

とはいえ、もちろん量そのものも重要なのですが、やはり大事なのは見つかったその位置でしょう、なぜかというと島根県出雲市は古事記や日本書紀に記されているある神話の舞台となった地だからです。

国譲り神話とは?

「・・此の葦原中国(あしはらのなかつくに)は天神(あまつかみ)の御子(みこ)の命(みこと)の随(まにま)に献(たてまつ)らむ」

(意訳)
この葦原中国(日本)は天津神の御子孫の差し上げます。

できるだけ簡単に国譲り神話の概要を書きます。

(国譲り おおまかな流れ)
天照大神 →(地上に下るよう言う)→天忍穗耳命(しかし嫌がる)

  |(地上を平らげるよう言う)
  ↓
天之菩卑能命 3年戻らず
天若日子   8年戻らず(しかも地上で亡くなってしまう)

満を持して武御雷神、天鳥船神 参上!
      ↓ (譲れとすごむ)
     大国主命 2人の息子に聞きたいという
          ↓
          事代主神 従いますという
          建御名方神 武御雷神と戦う → 敗れる
     大国主命 国を譲る → 出雲大社を建ててもらう。

天照大神は地上界を天津神である自分の子孫に収めさせようと思って子の天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)を地上界に送り込みます、しかし高天原と葦原中国の間にかかる天の浮橋から地上界を見たとき、まだ地上界が荒れていることを見て高天原に戻ってきてしまいます。

困ったことになったので神々の間で会議が開かれます。そして地上界を平らげるために何柱かの神々が地上に送られます。最初は天之菩卑能命(あめのほひ)でしたが大国主命にこびへつらうばかりで3年も戻りません、次に天若日子(あめわかひこ)を送り込みますが大国主命の娘の下照比売命 と結婚してしまい、8年も戻りませんでした。(最終的に地上で亡くなってしまいます。)また会議が開かれ、次は雷神の建御雷神(たけみかずちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が派遣されることになりました。(日本書紀では経津主神 (ふつぬしのかみ)が天鳥船神の代わり)

二神は稲佐の浜に天降りして大国主命に国の譲渡を迫ります。その仕方もすさまじく波の上に長剣をさかさまに立て、切っ先に胡坐をかいて座るというものでした。

大国主命は「2人の息子に聞いてみる」いい、事代主神(ことしろぬしのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)にどうすればいいかと尋ねます。事代主神は譲るべきであると主張するのですが、建御名方神は武御雷神に反抗します。そして2人は力比べをします。(これが相撲の起源だという説がある)力自慢の建御名方神ですが、武御雷神は手を氷や刀に変えて建御名方神を吹っ飛ばしてしまいます。こうして大国主命は国を譲る約束をし、その代わりに大国主命に与えられたのが今の出雲大社だという話です。

遺跡との関連性

以上が日本書紀や、古事記における国譲り神話の概要です。神様などが話に登場してくるあたり、いかにも本当のこととは思い難いですが、しかし、荒神谷で見つかった多くの銅剣はそこに何らかの大きな権力を持った存在が実際にいたということを示しています。また、武力の象徴としての銅剣を土に埋めるという行為が武力の放棄=国譲りと頭の中で結びついてしまう人は少なくないはずです、出雲王朝がかの地に昔存在していたという説もあるくらいです。そう考えると夢がありますし、考えるだけでワクワクしてきますよね。

通説では・・

とはいえ津田左右吉先生の日本書紀の研究などからやはり、日本書紀においては応神天皇以前の歴史はあまり信憑性がないというのが、通説だとは思います。しかし、この発見は神話が決して絵空事ではないという、一つの例証となると思います。なにより前代未聞の銅剣の出土量・・今後の研究に期待が持てますね!!

神話を証明するような遺跡が次々と見つかっている

お読みいただきありがとうございました。

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