ナウマンとは人の名前? 野尻湖のナウマンゾウ
かつて日本という名前もない時代に、今はなきナウマンゾウがこの国の陸地にいました。名前に使われているナウマンの実績とともに紹介します。
- ナウマンとはどのような人物か
- 日本のナウマンゾウはどのようにして見つかった?
ナウマンゾウとは
ナウマンゾウ(Naumann’s Elephant、学名:Palaeoloxodon naumanni)は、更新世に生息していた古代の象で、日本では特に有名です。
名前は、19世紀に日本の化石を研究したドイツの地質学者、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンにちなんで名付けられました。
生息していた時期は 更新世後期(約10万年前から1万年前)で、日本列島全域で化石が発見されており、特に長野県の野尻湖や北海道の知床半島などが有名な発掘地です。
ナウマンゾウの化石は、日本の自然史博物館や教育機関で展示されており、古代の日本列島の環境や生態系を理解する上で重要な資料となっています。
個人的にナウマン象という名前は知っていましたが、それが人の名前というのが意外でした。
ではそのナウマンとはどのような人物なのでしょうか?
名前の由来ナウマンとは
ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(Heinrich Edmund Naumann、1854年 – 1927年)は、ドイツ出身の地質学者であり、日本の地質学や古生物学の発展に大きく寄与した人物です。
ナウマンはドイツのシュトゥットガルトに生まれました。その後、 テュービンゲン大学とハイデルベルク大学で地質学を学びます、
そして1875年、明治政府の招聘(しょうへい)により東京開成学校の金石学・地質学・採鉱学の教師となるため来日します。
その後地質調査所に勤務、日本各地で地質調査を行い、特に関東平野や中部地方の地質構造を詳細に調査します。
そして ナウマンゾウの最初の標本は明治初期に横須賀で発見されます、
東京帝国大学地質学教室の初代教授だったナウマンによって研究、報告されました。
この発見により、日本列島における更新世の動物相の研究が進展しました。
またナウマンは、 富士山や箱根山の調査も行い、日本の火山地形の理解にも貢献しました。
フォッサマグナの命名者としても有名です。
そして東京大学で地質学の教授として教鞭をとり、多くの日本人地質学者を育成しました。
ナウマンゾウの命名 槇山次郎氏
槇山次郎(まきやま じろう、1875年 – 1965年)は、日本の著名な地質学者であり、地質学および古生物学の分野で多くの重要な貢献をしました。
槇山次郎は、大正10年に浜名湖北岸の工事現場で見つかった化石を見つかったナルバダゾウの新亜種だとし、
それをナウマンの業績を称えて、ナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)と命名しました。
ナウマンがナウマンゾウを見つけたわけではなかったのですね。
野尻湖が有名なナウマンゾウ
野尻湖はナウマンゾウの化石発見地として非常に重要な場所です。
野尻湖は長野県上水内郡信濃町に位置する湖で、更新世の地層が露出している地域です。
この地層は、約10万年前から1万年前にかけての氷期に形成されたものであり、様々な動物の化石が発見されています。
特に、ナウマンゾウの化石が多数出土していることで有名です。
野尻湖周辺では、19世紀末から20世紀初頭にかけてナウマンゾウの化石が発見され始めました。
これらの化石は、当時の日本列島に生息していたナウマンゾウの存在を証明する重要な証拠となりました。
ナウマンゾウの化石は、その特徴的な大きな湾曲した牙や、骨の構造から識別されます。
その後、野尻湖では、定期的に発掘調査が行われており、ナウマンゾウの化石が多数発見されています。
これらの調査は、専門家や研究者だけでなく、一般の参加者も参加できることがあり、教育的な意味合いも持っています。
発掘された化石は、ナウマンゾウの生態や生息環境についての研究に貢献しています。
尻湖の近くには「野尻湖ナウマンゾウ博物館」があり、ここではナウマンゾウの化石やその生態、発掘の歴史などが展示されています。
博物館では、ナウマンゾウの全身骨格標本や、当時の環境を再現した展示が行われており、訪れる人々にナウマンゾウについての知識を提供しています。
まとめ
ナウマンゾウ命名の経緯と野尻湖の関係をご紹介しました。
お読みいただきありがとうございました。