□統帥権干犯問題~魔法の杖は誰の考案か?~□
- 統帥権干犯問題とは何か
- そのきっかけはロンドン海軍軍縮会議
- 統帥権とは天皇大権である。
- 北一輝と統帥権の関係
そもそも統帥権とは
統帥権とは軍隊の作戦、用兵権などを指し、天皇大権とされていました(憲法第11条)。管轄はそれを補弼する海軍軍令部のものでした。
一方で兵力量の決定は天皇の編成大権と定められ、それは内閣の輔弼事項となっていました。つまり軍備の増強、縮小に関しては内閣も口を出せました。
この統帥権をめぐって昭和初期に論争が巻き起こりました。
ロンドン海軍軍縮会議で・・
統帥権干犯問題は1930年にロンドンで行われたロンドン海軍軍縮会議(米・英・日・仏・伊)において若槻礼次郎外相が海軍の反対を押し切って
条約に調印した際巻き起こった論争です。まずロンドン海軍軍縮会議について書きます。
当時、国際社会では大恐慌のあおりを受けて軍縮(軍備を減らすこと)を行おうという動きが出てきていました。
軍艦を大量に所持しているということはそれだけでお金がかかることだったのです。もともとワシントン軍縮会議において、戦艦と航空母艦の軍縮が行われていましたが、
今回はさらに重巡洋艦以下の潜水艦、駆逐艦も縮小しようという話し合いになりました。
当初日本は対米英7割の補助艦などの保有を主張していましたが、話し合いの結果大型巡洋艦などが6割保有にとどまった等の関係もあり、
加藤寛治(ひろはる)軍令部長など海軍の強硬派がこれを批判し、統帥権干犯であると主張しました。
統帥権干犯問題とは
上記にもある通り統帥権とは天皇大権であり、政府(海軍省)も介入できないはずであるのに、
軍縮などという兵力量の変更を行うことはそれを犯していることであると、また天皇のもつ統帥権を輔弼する軍令部にその許可を得るべきであるとの主張です。
ここで大事なのはこれを主張したのは海軍軍令部であるということであり、決して天皇が直接主張しているものではないということです。
国会の第58回特別議会において、鳩山一郎、犬養毅ら野党の陣営からも主張されました。
また東郷元帥(バルチック艦隊を日露戦争で倒した)や伏見宮も統帥権干犯はけしからんと言ったそうです。それもあって軍令部は盛んに統帥権干犯を叫びました。
(日露戦争の英雄東郷平八郎にそう言われたらちょっと厳しいですよね。)
海軍の良識派が追い出された?
この事件の際に財部彪海軍大臣、山梨勝之進中将、堀悌吉少将といった海軍の良識派の人たちが次々と辞任していきました、
そして海軍部内には加藤寛治大将、末次信正中将といった強硬派がのこることになりました。
その背景には海軍内での争いがありました。
海軍省と軍令部との争い
海軍内部でも意見が分かれ、海軍省と軍令部に分かれて争われました。
ロンドンから財部彪(たけし)海軍大臣が日本に確認の電報を打った際に、日本で最終会議が開かれました。
出席したのは岡田啓介大将中心として、軍令部からは軍令部長加藤寛治大将、次長末次信正中将、作戦部長加藤隆義少将、
海軍省からは、海軍次官山梨勝之進中将、軍務局長堀悌吉少将、高級副官古賀峯一大佐が出席しました。
(まとめてみました。)
- (軍令部側)
- 軍令部長 加藤寛治大将
- 次長 末次信正中将
- 作戦部長 加藤隆義少将
- (海軍省側)
- 海軍次官 山梨勝之進中将
- 軍務局長 堀悌吉少将
- 高級副官 古賀峯一大佐
海軍省側はわりかし妥協的な考え方だったのですが、軍令部側は条約調印を認められないと主張していました。
加藤寛治大将に関しては天皇に直接、今回の決定は納得できないといいに行ったりしています。
そして強硬派が海軍を押さえ、魔法の杖を手に入れた
海軍の主要なポストには、統帥権干犯を盛んに主張した加藤寛治大将や末次信正中将がついていきました。
そして海軍は統帥権という政府が口を出せない特権を手に入れ、軍部の影響力が強くなっていきました。
戦中の軍部の強引なまでの姿勢にはこういう土壌があったのですね。
統帥権干犯を思いついたのは北一輝?
北一輝とは国家主義者で国家改造を主張した猶存社の指導的ポジションを務め、2・26事件における皇道派のクーデターにも思想的影響を与えた人物です。
この人物が鳩山一郎や犬養毅に統帥権干犯という思想を教えたという風に故半藤一利先生の昭和史には書かれています。
北一輝とは
もう少し北一輝について詳しく書きます。
北一輝は本名を北輝次郎と言いまして、明治16年の生まれです。
国家社会主義者で日本改造法案大綱は有名、高校生の方にはここ試験に出ますよ~というところです。
また、2・26事件における陸軍将校の精神的支柱となりました。
そういう人が統帥権干犯という”裏技”を思いついたんですね。
まとめ
統帥権干犯が叫ばれるきっかけの裏にはこのようないきさつがありました。
この考えは結局、軍部を強権化させて日本が大ダメージを負うことになった一端となったと思います。(私見です。)
冷静に未来を見据える目を持ちたいものですね。
読んでいただきありがとうございました。
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