三大奇橋かずら橋ができた理由とその意外な素材とは?
- 変わっている橋の素材
- なぜすぐ落とせる橋にしたのか?
- 源平合戦との関係と伝説
かずら橋とは何か
かずら橋は徳島県は三好市に流れる祖谷(いや)川にかかる橋で、山梨の猿橋、山口の錦帯橋と合わせて日本三大奇橋の一つにかぞえられています。その特徴は、橋を吊るロープが植物のつるでできていることで、その見た目の奇妙さは見る者の心をひきつけてやみません。植物の種類はシロクチカズラという植物で、三年に一度架け替えているそうです。国の重要有形文化財に登録されています。
源平合戦時の伝説
かずら橋のかかる地域の近くでは昔、大きな戦乱がありました。それは史上有名な屋島の戦いです。源義経が活躍した戦いと言えば思い出す人もいるのではないでしょうか。以仁王の令旨がきっかけで起こった源平合戦は源頼朝側の源氏と平清盛側の平氏が争った戦いで、当時の年号から治承・寿永の乱とも呼ばれます。当初石橋山の戦いで苦戦した源頼朝でしたが、そのあとは破竹の勢いで平氏方を打ち破っていきます。途中清盛が病死してしまったこともあり勢いのなくなった平氏、一の谷の戦いに敗れ戦いは屋島の戦いにもつれ込みます。屋島の戦いは義経の八艘飛びや那須与一の弓の伝説で有名ですね。この戦いでも平氏方は破れてしまうのですがその破れてしまった平氏の残党である平国盛が山深いこの祖谷の地に逃げ込んだそうなのです。そしてもし源氏方が追ってきてもいつでも落とせるようにこのような橋にしたとの伝説があるのです。あの不思議な橋の見た目の裏には逃げる平家の思惑があったのかもしれません。
平国盛とは
平国盛は伊勢平氏の出身で清盛の側近です。屋島の戦いの時点ではもう老齢で、あまり詳しい話は文献には出てきませんが、ただ清盛の死後、平宗盛(平清盛の三男)の側近として仕えていたようで、壇ノ浦で平氏方が敗れた際には宗盛とともに鎌倉へ送られたとされています。通説と伝説どちらが正しいのか、これも歴史のロマンですかね。
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