2023年8月19日

八坂神社・祇園祭~蘇民将来神話の謎~スサノオと牛頭天王とは

投稿者: のんきまる

八坂神社と祇園祭

八坂神社は京都にある神社です。毎年夏に行われる祇園祭で有名ですね。

祭神は素戔嗚尊(すさのお)や、その妻の櫛名田比売尊(くしなだひめ)などが祀られています。

由緒は諸説あるのですが、社説では斉明天皇2(656)年の年に朝鮮半島にあった新羅国牛頭山に祀られていた素戔嗚尊を移してきて山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の名を賜ったとか、

その他では貞観18(876)年、僧円如が播磨国広峯の牛頭天王を移してきて、その後、時の摂政藤原基経が精舎をたてたなどの説があります。

とにかく歴史が古い神社ということですね。

八坂神社の祭神は素戔嗚尊なのですがそれは蘇民将来という神話が関係しています。

一体、それはどのようなものなのでしょうか。

名前は聞いたことがある人はいると思います。実は少し怖い神話なんです。

蘇民将来神話とは

備後国風土記の逸聞に見える神話です。逸聞とは、そのもの自体は残っていないけどほかの書物に引用されていてその内容がわかるものです。

さて、その神話の内容はざっくりと以下の通りです。

大昔の話、武塔神(むとうしん)という神様が旅の途中、宿を裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)に求めますがそれをむげに断られます。その次に弟の蘇民将来(そみんしょうらい)にも宿を求めますが、こちらは貧乏ながらも快くもてなしてくれます。そこで宿のお礼に武塔神は蘇民の娘に茅の輪をつけてこういいます。「夜、蘇民の娘以外をことごとく滅ぼす、また、蘇民将来に子孫があれば今後疫病が流行ったとしても蘇民将来の子孫であるといって茅の輪を腰に付ければ助かるだろう。」と

そして自らが素戔嗚尊であると名乗るという話です。

備後国に限らず日本各地に同様の神話があるそうです。

各地の神話は少しづつ違っていたりします、それを考えても不思議な神話ですよね。

夏越の祓での茅の輪くぐりはこちらが起源のようです。

こちらの神話に出てくる神様は人々を滅ぼしてしまうということで恐ろしい神格を与えられています。

昔の人の神様への畏れのようなものを感じ取ることができる神話だと思います。

さて、ここでは武塔神はスサノオと自らを名乗るわけですが、これは八坂神社の祭神と一緒ですね。

そして、重要なのは疫病を流行らす力を持っているかのように描かれているということです。

これが八坂神社の祭神がスサノオとなったことと関係してきます。

ナゾトキを進める前に、ある神様のことを紹介しなくてはなりません。

それは牛頭天王という神様です。

牛頭天王とは

祇園天神とも呼ばれ、神仏習合した神様でその成立は複雑なものとなっています。

諸説ありますが、インドのころは祇園精舎(平家物語の祇園精舎の鐘の声で有名ですね)の守護神とも、牛頭山の神様などとも呼ばれました。それが中国に伝わり、陰陽思想、密教、道教などとも結びつき、

また、日本では陰陽道とも結びつき、体系的な説明が与えられてきた経緯があります。

この神様は疫神としての性格を持っています。疫病除けなどで信仰されているのですね。

そしてこれがものすごく重要なんです。

疫神としての性格を受けて日本では前述した蘇民将来神話と結びつき

武塔神と牛頭天王は同一の神様と言われたりしました。

牛頭天王と武塔神が一緒ということは、牛頭天王とスサノオも一緒ということです。

これがわかると、どうして八坂神社の地名が祇園と呼ばれるのかなど、いろいろなことがわかってきます。

<豆知識>
ちなみに、祇園精舎と呼ばれる場所は歴史上、実在しました。現在のインドのウッタル・プラデーシュ州シュラーバスティー県にあったそうです。精舎とはヴィハーラと言い、比丘(出家した人)が住する修道施設のことを指します。お釈迦様が昔、そこで説法をしたそうです。今は歴史公園となっています。

なぜ八坂神社の場所は祇園なのか?と、祇園祭の由来

祇園祭の由来は、清和天皇の御代、貞観11(869)年に、都の神泉苑で鉾を六十六本たて、疫病のおさえることを願ったことに始まります。

その際に祀ったのが牛頭天王なのですね、先ほども言ったように牛頭天王は疫神としての性格を有しており、

疫病を抑えるにはもってこいだと思われたのでしょう。

また、八坂神社ももともと祀っていたのは牛頭天王でした。

実は、八坂神社という名前も明治後の名前で、それ以前は祇園社と呼ばれていました。

どうしてか、それは牛頭天王が祇園精舎の守護神だとされていたからです。

そして、祭の名は祇園祭、地名は祇園。

それが明治の神仏分離令で八坂神社となり、祭神はスサノオとなりました。

何故でしょうか、それは蘇民将来の神話と結びついたことでスサノオ=牛頭天王となっていたからです。

八坂神社の祭神が素戔嗚尊となるにはこのような複雑な過程がありました。

<注意> スサノオと牛頭天王が習合したのは明治後のことではありません。それ以前から習合していたものが、明治後の神仏分離令で牛頭天王の性格だけが落とされたようなイメージだと思います。

スサノオと牛頭天王が同一の神様だとしたのは蘇民将来神話がもとであるというのは少し断定的な言い方かもしれません。細かく見ればいろいろな過程があると思うので、実際は一つのきっかけに過ぎないかもしれません。

八坂神社にみる、複雑な神様の物語でした。

まとめ

八坂神社の祭神が素戔嗚尊となるのにはこのような複雑な歴史的過程がありました。

日本の神様の話は複雑なので、諸説あります。

興味のある方は調べてみるのも面白いんじゃないでしょうか。

お読みいただきありがとうございました。