天照大御神とはどのような神様?はじめ違う名前だったのは本当?
- はじめは天照大神という名ではなかった
- なぜ伊勢に祀られたのか?
- 私幣禁止だった伊勢神宮
天照大御神とは
日本書紀(最古の日本の正史)や古事記(現存する最古の歴史書)にその名が見える神様で、天皇の先祖(皇祖神)であるとされています。
かの有名な伊勢神宮の内宮に祀られています。古事記では黄泉の国から帰ってきた伊弉諾神(いざなぎのかみ)が禊(穢れを取るために水浴行為をすること)をした際に左目から生まれたといわれています。
有名な神話として天岩戸伝説(あまのいわと)や天孫降臨伝説などがあります。
天照大神という名ではなかった?
これは日本書紀の記述なのですが、最初に登場した際には大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)という名前でした。天照大神という名前ではなかったんですね。
孁には巫女という意味があり、天照大神には当初、祀る側の存在としての神格があったのではないかと言われています。
というのもほかに日神(太陽の神)として高御産巣日神(またの名を高木神)などがおり当初は主神としての位置づけではなかったのではないかという話です(一説によるとです)。
有名な天照大御神の名前が最初は違っていたということに驚きました。
また、天照大御神は伊弉諾神の左目から生まれたと書きましたが、天の神なのに地上で生まれているんですね。
なので高御産巣日神は天照大御神の地上性を消す目的で書かれたという説もあります。
天岩戸伝説
上に天岩戸伝説と書きましたが、神話の内容はこういうものです。
高天原で天照大御神と須佐之男命が誓約(うけい)←誠意を試す占いをします。
誓約がうまくいった須佐之男命は勢い立って乱暴狼藉を働き(天照大御神の住まいに大便をしたりして汚す、とんでもない話ですね)
皮をはいだ馬を天照大御神のいるところに投げ込んで、それがきっかけで巫女が亡くなったりしてしまいます。
天照大御神は大変心を痛め、天岩戸(洞窟みたいなもの)にこもってしまいます。そして世界に闇が訪れます。(天照大御神は太陽そのものなので)
困った神々は会議を開きます。
そして岩戸の前でどんちゃん騒ぎをして天照大御神を誘い出すことにします。
とまぁこんな感じなんですが、この神話にはヤマト政権の有力氏族の祖が結構参加してまして、
この神話はそれらの氏族の職掌起源神話(それらの氏族の起源)を語るものではないかともいわれています。
また、平安時代に藤原氏の力が強くなる際に二神約諾神話(神話の時から天皇と藤原氏は助け合ってきたんだという神話)が生まれるんですが、
天岩戸伝説はその根拠にされたりしています。(藤原氏かつての中臣氏の先祖も出てくる。)
いつから皇祖神となった?
天照大御神が皇祖神となったのは5、6世紀くらいのころと言われています。
壬申の乱(天智天皇の死後、子供の大友皇子と弟の大海人皇子が争う)の際大海人皇子が拝礼したらしいです。(壬申記)
またそのころには古事記や日本書紀の編纂事業も進んでおり、このころに天照大御神の神格が形成されていったと考えることができます。
大海人皇子が天武天皇となり、その奥さんの持統天皇とこのあたりで伊勢に内宮、外宮が建てられ、今の伊勢神宮の体制が整います。(7世紀後半)
しかし、なぜ伊勢の地に決まったのでしょうか?
それは天照大御神の意思が関係していました。
天照大御神の形代(神霊の依り代)は八咫鏡なのですが(三種の神器の一つ、三種の神器については別の記事に書いてます。)
もともと鏡は皇居にあり、天皇とともにあったのですが、力が強すぎるのでよそに移し祀ろうということになりました。
そして倭姫命(やまとひめ)(11代垂仁天皇の第4皇女)と共に各地を旅します。適地を探すためです。
そして伊勢にたどり着きます。鏡の天照大御神は言います。
是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國 (この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ) Wikipediaより拝借
常世とは永久に変わらない世界、あの世のことです。あの世の波が来るこの地に決めたということですね。
伊勢神宮が伊勢にある理由にはこのようないきさつがありました。
最初は個人的な参拝おことわりだった伊勢神宮
私幣(しへい)禁止というのですが、当初伊勢神宮は個人的な参拝ができない場所でした。
それは天皇も例外ではなく、明治天皇が史上初めて伊勢神宮に参拝したといわれています。
驚きですよね。
国のためのお宮であり、個人の悩みを聞くためのところではないということだったんですね。
しかしちょっと待ってと、江戸時代にお伊勢参りが流行ったという話を聞いたことはありませんか?
実は、私幣禁止は律令制(大宝律令)の初期には機能していたのですが、段々それらが崩れてくるとそういうわけにいかない事情が出てくるのです。
実際、天皇家の台所事情が厳しくなってくるんですね。
こうなると伊勢神宮は自分たちで稼がなくちゃいけなくなってきます。
そういう事情で生まれてきたのが御師(おし、おんし)などのお伊勢参りのプロモーターみたいな人たちだったんですね。
江戸時代にはお伊勢参りが大変はやりましたよね。
それには伊勢神宮の台所事情もあったんですね。
そんな御師が伊勢神宮の神域で戦うような事態になる時があるんですが、それはまた別の記事に書きたいと思います。
まとめ
お読みいただきありがとうございました。
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大日孁貴神、天照大御神、伊弉諾神、天岩戸伝説、高御産巣日神、倭姫命、壬申の乱、大海人皇子、二神約諾神話
~ちょこっと雑学コーナー~ お払い箱の由来・・伊勢参りの際に、御札をもらうのですがそれは1年で交換してい それを入れておく箱のことをお祓い箱と言いました。お払い箱は それが由来らしいです。 伊勢神宮におみくじがない・・参拝できただけでもラッキーだかららしいです。
本記事ゆかりの地
- 伊勢神宮(内宮) ・・・三重県伊勢市宇治館町1
- 豊受大神宮(外宮) ・・三重県伊勢市279