2022年11月19日

~日独伊三国同盟~それは、戦争への片道切符か?

投稿者: のんきまる
  • 日独伊三国同盟とは何なのか?
  • 何故三国同盟を組まなければならなかったのかその背景
  • それで失ったものと得たものとは?
  • この同盟が日本の国際的な方向性を決定づけた?

三国同盟とは?

1940年(昭和15年)9月27日にドイツはベルリンにて結ばれたその同盟は枢軸同盟とのちに呼ばれました。イタリア、ドイツ、日本が相互に結んだ同盟でその際に出席したのはチアノイタリア外相、リッペントロップドイツ外相、日本は来栖三郎駐独大使でした。

その内容は、日本はイタリアとドイツの欧州における指導的地位を、またドイツ、イタリアは日本の大東亜における指導的地位を相互に認め合うもので、またこれらの国が他国から攻撃された際に互いに軍事的に援助しあうことを取り決めたものでした、そしてこの同盟はドイツにとってはアメリカの第2次世界大戦への参戦を食い止める目的がありました。

結ばれた背景

当時、欧州では第二次世界大戦が勃発していました。そしてそのさなかでのドイツの活躍はすさまじく、日本国内ではドイツを礼賛する声が高まり、※仮にアメリカ、イギリスと戦争になったとしてもドイツと手を組んで東南アジアへの進出を進めるべきではないかとの論調が強まっていました。1940年に米内光政内閣が陸軍の圧力で倒れると、(この際には軍部大臣現役武官制が効いた、軍部大臣現役武官制が何かというのは別の記事に書いているのでさんこうまでにどうぞ)第二次近衛文麿内閣が成立し、陸軍大臣に東条英機(太平洋戦争開戦時の首相)、外相に松岡洋右(国際連盟脱退時の全権)を任命し、軍事同盟が結ばれることとなりました。

※しかしその後もアメリカとの開戦を避ける働きかけはなされていた。

なぜ日本は同盟を結んだか?

東アジアにおける日本の対中国政策におきて日本とアメリカの対立が深まる中、日本にとってはアメリカに対抗するための軍事同盟の役割を果たしました。

本当はソ連を含めた4か国同盟だった?

もともとこの同盟を強く主張し、近衛首相に推したのは外相松岡洋右でした。その際主張していたのはソ連を含めた4か国同盟だったようなのです。これは大本営政府連絡会議という国策を決定する最高機関で決定している事柄で、実際に実現はしませんでしたが、もし実現していればその後の国際地図が変わるほどの重大事件だったかもしれませんね。

この同盟が日本に与えたこととは

歴史探偵の半藤一利さんが著書でおっしゃっていたのは、この同盟が日本のノーリターンポイントだったということです。それはこの同盟を機に日本が国際世界に対して強気で出るようになったということです。また、アメリカなどの連合国側の対日本経済封鎖等も勢いを増し、関係性に決定的な亀裂が生まれました。そういった意味でこの同盟は戦前において重大な事柄だといえるでしょう。

日独伊三国同盟はその後に来る太平洋戦争の発生を予感させる同盟だった。