神話の痕跡を残す各地の地名
地名は歴史のタイムカプセルのようなもので、全国各地の地名は知れば面白い由来が残っていたりします。
其の中でもはるか昔、神話の時代にゆかりのある地名も数多くあります。
今回は、そんな神話に由来する地名をいくつか紹介したいと思います。
~倭武命に由来する地名~
皆さんは倭武命(やまとたけるのみこと)をご存じでしょうか、
その活躍は古事記や日本書紀に描かれています。
景行天皇の皇子であり、命じられて各地に遠征をおこないました。
(ヤマトタケルについての記事も書いていますのでよかったら読んでください。)
各地に遠征をおこなった皇子ということで、
いろいろな場所に伝説と地名を残しています。
その中からいくつかを紹介したいと思います。
群馬県吾妻郡嬬恋村
倭武命が東征をしている最中、相模(今の神奈川)から上総(今の千葉)へ渡る際に
浦賀水道という海峡を渡ることになったのですが、
そこの海神が激怒して海が荒れに荒れていました。
これでは渡れないと、難儀していた際に妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海神の怒りを鎮めるため、
海に身を投げました。
無事、海の嵐は収まり海峡を渡ることができたのですが、
倭武命は亡くした妻のことで深く悲しみます。
東征から帰る際、碓日坂(今の鳥居峠)に立ち寄った際に、
亡くした妻のことを思いつぶやいた、
「吾妻や・・(私の妻よ・・)」が嬬恋村の由来です。
東はあずまともよみますが、それも倭武命が東の方をみて妻をしのんだことから
あがつま→あずま、であずまと呼ぶようになったとのことです。
静岡県焼津市
相模国でのことです、相武国造(さがむのくにのみやっこ)に諮られた倭武命は、
草原の中で火をつけられてしまいます。
このままでは焼け死んでしまうというとき、倭武命は持っていた天叢雲剣で周りの草を薙ぎ払い
火打石で草に迎え火をつけ、何とか危機を脱しました。
この際、天叢雲剣は草薙剣という名前になったそうです。
この伝説からそこの地名は焼津という名前になったそうです。
三重県
今までは市や村の名前の由来でしたが、次は県です。
三重県の由来は数々の困難を潜り抜け、
倭武命の旅が終わりに差し掛かってきたころのことに由来します。
鈴鹿の熊褒野(のぼの)で倭武命は亡くなりますが、
その直前、極度の疲労から「わが足三重のまかりなして、いと疲れたり」
と言ったそうです。
足が疲労で3重に曲がるようだ、というのが三重県の地名の由来だそうです。
このように神話に由来する、地名は結構あるものですね。
住んでいる場所の近くの地名も由来を調べてみると面白いことがわかるかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。