古事記とはなにか?基本から古事記偽書説まで
現存最古の歴史書といわれる古事記をご存知でしょうか?今回は日本人なら知っておきたい古事記の基本と、古事記にまつわる謎を紹介します。
- 古事記ができた経緯とは?
- 古事記編さんの主要人物
- 古事記が偽書だとされる理由とは?
- 奈良県で見つかった太安万侶の墓
古事記とは何か?
現存最古の歴史書と言われています。(現存でないならもっと古い歴史書があるようです。)
読みは現在、こじきと言っていますが古くはふることぶみと読んだりしました。
天武天皇を中心として発議され、稗田阿礼という舎人(貴人に仕える人)が皇帝日継(帝紀)と先代の旧辞を口伝したものを太安万侶という人物に編纂させて出来上がりました。
上中下巻で構成されていて、上巻は神代のことを扱っています。
現在知られている日本神話の基本を成すという意味でも重要な書物です。
また古事記にはたくさん詩が出てくるのですが、それらは文学的価値の高いものと言われています。
完成は和銅5年の正月だとされています(古事記序文の奥書に書いてある)、
真福寺本(大須観音というお寺に伝わるもの、国宝)が現存最古の写本と言われています。
太安万侶とは?非実在説
太安万侶は飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族です。
いちばん有名な事績は古事記の編纂です。
太安万侶については存在が疑問視されていたこともありました、どういうことでしょうか
古事記の序文には正五位勲五等太朝臣安万侶と書いてあります。
勲五等というのは軍事で活躍した人しか貰えないとのことで、文人である太安万侶には不可能であるというのが根拠でした、
よって、その存在を疑問視する人もいましたが、奈良県此瀬町の茶畑から人骨と墓誌等が見つかり、その墓誌にもまた正五位勲五等と書いてあったので存在が実証されました。
太安万侶が勲五等を与えられていたのは、蝦夷征伐に参加していたからだという説もあります。
なんでも蝦夷征討軍である巨勢麻呂軍の副将軍に任じられていたというのです。そうだとしたら太安万侶のイメージがぐっと変わりますね。
どうして古事記が作られたのか
当時、各氏族にはそれぞれの帝紀、旧辞が伝わっていたらしいのですが、天武天皇がその内容の嘘の多いことを嘆き、太安万侶に命じて作らせたと言います。これを削偽定実と言います。(古事記の序文に書いてある。)
かつて日本には天皇記、国記なる歴史書があったらしいのですが、ともに乙巳の変をきっかけとして消失してしまったらしいのです。
基本となる歴史書が失われて、歴史がごちゃごちゃしてしまったので統一しよう!となったらしいです。
また壬申の乱がきっかけという話もあります。
壬申の乱は天皇の後継者争いだったのですが、天武天皇が自らの皇統を正当化するため編纂させたとのみかたもあるんです。
古事記編さんの裏にはいろいろな人の思惑がありました。
古事記偽書説とは?
古事記は偽書であるという説があります。
これは古くから主張されていることで江戸時代では沼田順義(江戸後期の国学者)、昭和だと中沢見明、大和岩雄などが主張しています。
その根拠としては上にも書いたのですが、太安万侶の存在自体が疑わしいので、それで偽書であると言うものです。しかしこれは、太安万侶の墓誌が発見されたことで解決しています。
また、稗田阿礼も存在が疑わしく偽書ではないか?といわれています。
個人的には偽書説がある事自体意外でした。
また別の根拠としては後の世の史料との不整合や、日本書紀に古事記編さんの記事がないことなどが挙げられます。
まとめ
古い時代の本なのでわからないことも多いのですね、
お読みいただいありがとうございました。